WEB漫画「普通の人でいいのに!」がバズってまわってきて読んだ。
私の内容に対する感想は以下。
自分がなりたい理想の姿と現実に大きなギャップがあるけれど、そのギャップを自分で埋める努力はせず、ギャップが埋まる人や場所にそれとなくいることでなんとか一部になろうとする人の話だった。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
この漫画については、正直「よくわからない」でしかなく、確かにこの手の人が居るのも居たのも知っている。が、上記の感想から「で?」となってしまい、そのグズグズした態度や言葉にしんぼうならんなぁとなるため、仲いい友人には存在していない。
でも、様々な人の様々な感想や切り取り方を見ると、「なるほど」と自分がスルーした別の露悪が存在していることに気が付かされたりしました。全方位に「うわ」となる要素を散りばめていてスゴイ。
この漫画が読者本人に「刺さる・刺さらない」だけではなく、「何か言いたくなる」ものをぎゅっと詰め込んでいるものである点は非常に優れているところかと。
いい子にしていれば、見返りがある神話
作中に記載があるのにも関わらず、スルーしてしまった概念として「いい子にしていたらご褒美がくる」という概念があります。
これは作者の別のエッセイ漫画『マッチングアプリで会った人だろ!』でも出てくる概念。
「なるほど!なかったその考え!」と膝を打ちました。
まぁ結局「自分でつかみ取る努力をせず」に、「与えられると思っている人」なんだけど、これが「いい子にしていたので報われるはずだ」という信仰に基づいているとなると根は深いよね…
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
「いい子にしていたのに」と「あの子ずるい」は地続き
この「いい子にしていたらどこか(恋愛・結婚)で回収されるのでは?」といううっすらとした期待感は、回収されない場合はドンドンどす黒く積みあがり、「我慢もしていないあの子が、恋愛・結婚を″普通に″手にいれているのはズルい」と他者を妬む感情に容易に変貌を遂げます。
好き勝手する=ワガママと言われ、出る杭は滅多打ちの国ジャパンにおいて、快適な生活を送るために「ムラのしきたり」を守ることは一定の合理性があります。好き勝手するとワリを食うし、そもそも「好き勝手」すらわからない人は存外多い気がします。
比較的好き勝手する側からは、「言えばいいじゃん」の一言で済ませたくなる。また、「我慢するコストと村八分のリスクを天秤にかけた結果」が「我慢する」という結果では!?とも思う。が、我慢する人は損得勘定というよりも「そうしなくてはならない」と思っている(思わされている)ために、それ以外の動き方を知らないといった方が正しいのでしょう。
自発的な意思決定はなく、信念なき「すべきもの」が自分の本来の快・不快とフィットしていないと、日常の中でずっと我慢し、日常が苦行になります。ならば、と苦行の先の解脱を求める気持ちは想像はできます。
恋愛は救いじゃない
解脱が恋愛への帰依によって成される一派が多数派なのが問題。なぜなら、神仏でもない生身の第三者に救いを求めても無理筋だからです。人は神にはなれないので。
自分が得られない充足感を他人(恋愛)で満たそうとする人が予想以上に多く、それが一発逆転カードになり得る感じ、もうずいぶん恋愛市場から外れているので忘れつつある。が、25歳くらいまでで折り合いをつけてほしいなとは思う。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
25歳という年齢で区切ることに議論の余地がありますが、若いうちに済ませたほうがスムーズなことは多々あります。なぜなら、年を取っていくと「転んで骨折したらそのまま寝たきりになり死ぬ」ということが起こるので。そもそもの基礎体力や治癒力が違う。
ダサくても自分の欲望をちゃんと認識しろ
ダサかろうが、臭かろうが、自分の欲望の根源は何か?というのはちゃんと考えろよ!と思うわけです。ダサくて凹むよりも、自分がなりたいもの、求めているものはきちんと自覚して、獲得する努力をしたほうがヘルシーでは?
自分が求めるものが例えば「めちゃくちゃチヤホヤされてかわいいって言われて、イケメンと付き合って周囲にウラヤマシイと思われたい」でも、言語化して自覚するのと、この欲望を見ないようにしてグズグズしているのとでは話は違います(自覚したあとに適切な努力をするか、あきらめるかの選択は発生するし、適切な努力をしないと別の変な拗らせ方をするがこれはまた別の話)
恋愛においてグズグズに腐らす人は、恋愛にうつつを抜かす・振り回される・気にする自分をダサいと思って認められないという自意識が強すぎる傾向があります。
漫画でいうと、主人公は33歳で「普通の人でいいのに!」といい、他人と比較し、他人を踏み台にしている。しかしながら、求めているのは本人の思う「カッコイイ生活」で、無理くり「普通でいい」「自分はこのくらいでいい」という納得のさせ方をするから歪が発生している。結果、ウラジオストクに凸する行為それだけで自分を打破するというの、あまりにもあまりじゃないですか。
ウラジオストクはめっちゃよかったよ。
誰も誰かを救うためには存在しない
結果として「恋愛に救われる」ことはあるものの、この「恋愛(を含む人間)に救われる」イベントが発生するかどうかは、その人が優れている、美しい、恋愛強者という人の上下の話ではなく運の話です。運の話なんだよー!
「救い」を求めて「救って」くれる人は詐欺師か宗教家か「救うことにメリットがある」人になることは魂に刻んでおけ!
「誰か救ってくれ」とみっともなく叫んでのたうち周りたくなる時はあるが、それでも自分で折り合いをつけていくしか人生を歩む道はないし、それを覚悟できないのなら「我慢」がありながらも社会的により許容される形に収まるのが生存戦略になるし、どちらも拒否するのは鋳型を拒否する粘土ってやつですよ。
余談
インターネットにおいての自意識の持ち方や、そのグズグズの内面を表現することが評価されすぎる風潮はあるのでは?というのは、ここ数日の自意識someting作品を立て続けに摂取した感想です。オチはついてないが終わります。
感想ツイまとめ
自分の周りにいたらマジできついタイプの人の話だけど存在するのはわかる解像度なのすごいな。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
自分がなりたい理想の姿と現実に大きなギャップがあるけれど、そのギャップを自分で埋める努力はせず、ギャップが埋まる人や場所にそれとなくいることでなんとか一部になろうとする人の話だった。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
そもそもギャップを正しく認めておらず(なぜならギャップがあると自覚することはつらいし苦しいので)、理想とする人に寄生してるだけなのだが、自分が理想としない「普通」も見下すから出口がなくなるっていうね。内省と客観視の能力の問題な気がする。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
自己がきつくなる努力はせず、アクセス可能なものだけ集めて「こっち側」だと思って他人を見下す人、いるもんなぁ。故に「なぜこっちだと思ってるの?」と、「こっち」の人間に思われ線を引かれる。電話でキレてた友達はそのくらい距離が近く、気を遣わせた知り合いは距離が遠いから優しいという…。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
自分が得られない充足感を他人(恋愛)で満たそうとする人が予想以上に多く、それが一発逆転カードになり得る感じ、もうずいぶん恋愛市場から外れているので忘れつつある。が、25歳くらいまでで折り合いをつけてほしいなとは思う。
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
「いい子にしていれば」という発想……!いい子(日本社会が規定した規定を超えず、多少の疑問はありながらも反抗することはしない手間のかからない子。プラスにもマイナスにも突出しない)が、大人に叱られない(褒められる、ではない)形で保ってきた「踏み外さなさ」がいきなり梯子外される感じね
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日
まぁ結局「自分でつかみ取る努力をせず」に、「与えられると思っている人」なんだけど、これが「いい子にしていたので報われるはずだ」という信仰に基づいているとなると根は深いよね…
— ぱぴこ (@inucococo) 2020年7月30日