エモの名は。

エモの墓場

「ちょうどいいブス」は誰にとってちょうどいいのか

気がついたら師走。

こうやって1年は駆け抜けていくわけですが、平成最後の師走を迎え、平成最後の迎春を迎えるこのタイミングで地獄のようなドラマのニュースリリースが出て私のTLはざわついています。

「ちょうどいいブス」ってなんやねん。という話なのですが、このちょうどいいブスという地獄ワードの提唱者はお笑いコンビ「相席スタート」の山崎ケイさんの提唱する概念で、同名のエッセイも発売されています。 

ちょうどいいブスのススメ

ちょうどいいブスのススメ

 

ちょうどいいブスをすすめられ、ちょうどいい女になりましょうという帯。そして内容(「BOOK」データベースより)を見てみるとこんな感じ。

いい女ぶってるブスより、「私、“ちょうどいいブス”なんですよー」と言ったほうが俄然印象がいい。ユーモアがある女だとアピールできるし、相手ものってきやすい。“ちょうどいいブス”が編み出した恋愛テクニックや、“ちょうどいいブス”が背負っている使命、また美人よりも“ちょうどいいブス”が優れていることなどなど、徹底的に“ちょうどいいブス”と向き合う。

自虐とユーモアは違うのでは…?とか、結局「ブスは調子乗るな!」という圧力に対しての生存戦略でしかないじゃん…とか、これだけでも疑問が沸いてくるご説明。

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記載されているテクは古典的(居酒屋で膝を相手にくっつける…など)なので、やはり目新しさは「自分はブスである」と自覚したうえで「ブスとしてわきまえて、警戒されないように、男の好意を引き出そう」という方向なんだろうなー…と推察されて辟易する。自主的なブスの自覚いる…?

また、ドラマの紹介ページやキャストのキャラクタ設定などの周辺ワードは、さらにぐつぐつ煮立たせて凝縮した地獄が詰まっていてお怒りマンボを踊ってしまいます。

ワードも酷いが、ゴールも酷い

この「ちょうどいいブス」を目指す上での問題点は大きく2つ

  • 自分の容姿や立ち位置に対するマイナス自意識が強固になる
  • 他者からのマウントありの上下関係を受け入れてしまう

これらの結果の弊害は、自尊心を削っていく考え方や行動を主体的に取り、他者からのマウントを受け入れてしまうことでさらに自尊心を削る、という地獄ループにはまることです。

「ちょうどいいブス」なんて言われた日には、相手を殺していい合図かな?と認定して差し支えはないくらい、失礼な表現です。褒め言葉としての要素は0。というかむしろマイナス。完全なるディスり単語です。「ちょうどいいブスのモテ」状態は、完全に「穴モテ」方面しかないあたりも涙を誘います。

「ちょうどいいブス」を目指して「ちょうどいいブス」を獲得した先にあるのは、恋愛対象の相手に「ちょうどいいブス」として完全にマウントを取られて「下段」に見られる関係性です。

そんな関係性をゴールにしたいのか?しちゃダメでしょ。

ケイさんのインタビューやコントなどで表現されていますが、この「ちょうどいいブス」とはそのまんま「酔ったらいける」程度の「ちょうどよさ」を表現するワードとなっており、つまりは「俺でもいける」を極限まで凝縮した姿を目指してモテよう!ということに他ならないわけです。

「ちょうどいい」なんて言葉で誤魔化すな。「都合がいい」と言え。

この「ちょうどいいブス」戦略がミートするのは、女を馬鹿にしたり、ディスったり、自分の優位を確認することで気持ちよくなりたいゴミ屑です。

結局のところ、この概念は「ブスのくせに!」という野次に対して先回りして「いや、私、わきまえてるんですよ」とエクスキューズを提示しているだけで、完全に旧態依然の「強者男性」に対しての媚でしかない。

この概念が生まれた背景として、THEセクハラ・パワハラなおっさんたちが跋扈する「お笑い」という世界の中にいるケイさんが、「お前ブスだろ!」という野次や誹り(という名のツッコミ)への防御と、芸人としての自身のキャラ付けという2点から編み出した生存戦略と考えるとしっくりきます。*1

美人でも難癖つけ、ブスでも難癖つけ…なんなんだお前らは…。

ただし、ご本人は他のインタビューで見る限り「自己肯定感の高いモテ強者」という意識で生きていらっしゃる感じなので、この「ちょうどいいブス」という下手の表現は本人の自意識ではなく、芸人としての「ネタ」「キャラ」「キャッチーさ」というノリの雰囲気を感じます。

自虐の生存戦略自体がもう古い

本人が芸人という立場で「ちょうどいいブス」としての地位を確立しながら、モテ論を語り、いい女のように振舞って笑いを取り、それをネタとする…と、いうのは百歩譲って彼女のスタイルです(2018年現在、このような自虐芸自体が「古い」とされ始めているので、時代遅れ感はいなめませんが)

しかし、それを「個人」としてではなく「普遍的に目指す姿」のように発信した瞬間に話が変わってきます。

メディアによって発信されるメッセージが「自分がブスであることを受け入れて、”ちょうどいいブス”を目指し、男に愛される」であることの絶望感と時代錯誤感はぐっとくるものがあります。

2018年は#MeToo運動が沸き起こったり、セクハラ問題で次官が辞めたりと、微力ながら少なからず「過去普通にやってたことがNG」という方向性が大手メディアを通しても提示されたのでは?とは思っています。

今、世界は必死に「男に媚びる形での”愛され”という形態を目指さなくていい」「セクハラを笑って受け流すのがいい女」などという旧態依然の呪いをぶち壊そうとしています。 

papapico.hatenablog.com

その流れに気がつかず、古い構造の中での生存戦略である、容姿やジェンダーの話で笑いを取ろうということ自体が古い。古いながら、「芸人」「お笑い」という世界のおぞましいまでの男尊女卑構造が、よりいっそう浮き彫りになったともいえます。

で、2019年もそれやる?

日テレが「逃げ恥」(TBS放送)のあとに「タラレバ」を持ってくるようなセンスのない局*2 なのは知っていたものの、さらに全力で後退して「ちょうどいいブス」なんてものに「女性が共感できて笑えるコメディ!」なんてキャッチを付けて出すあたりにもう滅びた方がよいのでは?という気持ちが抑えきれない。

上から目線の「女性の生き方指南」なんてクソくらえです。しかも、その生き方指南が「ブスだと自覚しろ」がコアメッセージだなんて、メディア上層部の「おっさん」臭がひどすぎて、そりゃテレビ離れも加速するよねという話です。

結論:媚びて自分を軽んじるな。ラブリーに生きろ。

  1. 自分が「ブス」であると自覚して、「ちょうどいいブス」を目指す
  2. 自分で自分を「かわいい」と愛しんで、「かわいい」を目指す

100%後者!後者を目指そう!いや、もう並べると一目瞭然で1が提唱する中身のヤバさが浮き彫りになります。

自称「ブス」としての立ち位置を確立することは自由ですし、それ自体を否定するつもりはありません。しかし、まず「大多数の人間は自覚がないけどブス!ブスを自覚しろ!そしてちょうどいいブスになろう!」というメッセージは、「説教ビジネス」以外のなにものでもないと思います。

自分自身、「ブス…」と鏡の前で鬱になることはあるし、毎日かわいいわけじゃないし、1日毎に年は取っていきます。

それでも私は「私最高!」と思って生きていけるようになりたいし、エンパワメントされるものを見て、聞いて、鼓舞されていきたい。

時代の流れは確実に「そっち」に流れており、おっさんたちに媚びへつらって「私馬鹿で~」「ブスで~」「よくわからなくて~」なんて愛想笑いを浮かべなくていいように、少なくとも心まで折られないように生きていきたい。

きっとドラマのタイアップで女性誌などに「ちょうどいいブスのススメ☆」みたいな特集が組まれることでしょう。だけど、惑わされちゃいけません。それは、社会のお金の流れの一部でしかなくて、そんなものを身に着けて媚びへつらって、結果虐げられて泣くなんてことしちゃだめです。

クソなメッセージにちゃんと怒って「ふざけんな!」って言うことは、大事だと思うので、いくらでも悪口を言っていくぞ!

今回は以上です。

 *1.ジャンポケ太田氏が命名。生まれた背景はRay webサイトに掲載されている「ちょうどいいブスのススメ」参照

*2.逃げ恥はTBS、タラレバは日テレ放送です。1クールずれての放映だったので、「逃げ恥の後に~」と記載していましたが、誤解を招く書き方だったので追記します。

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

 

 劇団雌猫さんの「だから私はメイクする」本当にいい本です。いろんな人のいろんな思いでの「メイクする」が詰まっていて、泣けちゃいます。自分のためにめかすって心のためにも大事だよね。

www.e-aidem.com

手前味噌ですが、りっすんさんに寄稿したコスメ記事です。ガチのおススメしか書いてないよ!入りきらなかった。

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