日曜日の夜に仕事を横目にこんなブログを書くのは現実逃避以外のナニモノでもないけれどいいけれど、久々に「お、呪いたいな」という話題がTLを賑わせていた。
たびたび(悪い意味で)話題になる梅木氏発のブランドによる女子の格付けである。
女性の高級靴序列(梅木調べ)
10万前後(好みやフィッティングの問題でこのレイヤーは問題なし)〜 ルブタン、マノロ・ブラニク、ジミーチュウ、セルジオロッシ
ーーー 7万前後〜 フェラガモ(個人的には嫌い)
ーーー 5万以下(デートで履いてこられると萎える)〜 ペリーコ
女性の高級ブランドバック序列(独自調べ) 100万〜 エルメス
ーーー 60万〜 デルヴォー、ヴァレクストラ
ーーー 40万〜 フェンディ、ロエベ、シャネル
ーーー 30万〜 セリーヌ、
ーーー センス的に微妙〜 ヴィトン、プラダ
ー25歳までー ミュウミュウ
ー超えられない壁ー フルラ
ぶっ●すぞという気持ちになるな。
— ぱぴこ (@inucococo) 2018年4月8日
同ブランド内でも価格はシリーズによって違う点や、資本元が同一グループのブランドを格付けするなどのマッピングの稚拙さ、またその稚拙な知識(というよりは主観)に基づいての女性の格付けという点で、総突っ込みを受けている。
また、このツイが呼び水になり「miumiuは大学生~社会人3年目までのブランド」というコメントにも注目が集まった。うっせー。
miumiuが大学生ブランドって言う人はmiumiuのこの辺のラインの話しかしなそうだなという偏見がある。ラブリーでかわいめなものと値段が安めなものもあるけど、アラサー以降じゃないと手が出ない値段だったらりモードでかわいいのもあるよ…。 pic.twitter.com/C9ekR8tlrn
— ぱぴこ (@inucococo) 2018年4月8日
主観であるのに、「女」全体をジャッジする傲慢さ
梅木氏個人の趣味で「フェラガモが嫌い」「プラダとヴィトンはセンスが微妙」「ペリーコだと萎える」と感じるのはまぁ、「は?」と思いながらもそうですか、という感じでありますが、問題は主観であるはずのブランド評を「これを持つ女のレベル」というところまで範囲を無駄に拡大した点である。
ツッコミが入ってしまいそうですが、女性と女性が持つブランドバッグのレベルは大抵相関している気がします。個人的にはセリーヌ以上を希望。
多分、僕のように靴や鞄をがめつく見ている男性ってほとんどいなくて、むしろ女性同士で見られているのだと思います。あの子、30過ぎてまだミュウミュウ使ってるの?的な目で見られているのですよ。女性同士は残酷な世界ですからね。
ちなみに「5万以下の靴が良くない」とは言っていなくて、素材が良いモデルの方々とかは、コンバースオールスターをお洒落に履きこなしていますよね。そういうのは全然良い。でも、デートでペリーコはダメ。5万以下がダメなのではなく、ペリーコがダメなのです。
自分で勝手にカテゴライズした上に「女の世界で見られている話」であると仮想「女の敵は女」理論まで持ち出して女の責任にしてみたり、「5万以下の靴がダメとは言っていない」と言いながら「素材のいいモデルなどはコンバースでも~」って何基準とどこ目線の話なのかが謎。
とにかく、ペリーコに故郷の村を焼かれたのか?というほどにペリーコを嫌っているが、それが「その靴を履いてる女はいけてない」に飛躍するのでアップダウンが激しすぎて悪酔いする。
彼の話なんて本気で受け取って怒るなと言われそうだが、言っていくぞ。
なぜなら、こと女性が着飾ることに対する異性による「勝手なカテゴライズとランク付」というのマジで害悪だと思っているからである。
商品の値段=女の価値 という最低のカテゴライズ
このように、一連のツイートは突っ込みどころの宝庫であるが、単純な商品の値段を女の価値と位置づけ、30万円以上のセリーヌを持つのがよい塩梅と定義している点は、やはり感化できない発言であろう。
多分2018年のアラサー女子の程よい塩梅は、やはりセリーヌなのでしょう。おそらくこれが15-20年前はヴィトンだった的な。デルヴォーやヴァレクストラ以上になってくると、自腹で買わなそうなので、おやおやどうしたんだい?となりがち。程よく見せたいならセリーヌあたりが妥当。
非常に成金的、下劣で下品というしかない。
当たり前だが、人間は持つものの値段で価値が決まるわけではないし、高級ブランドを持つとランクや価値が上がるわけではない。
それは完全に「モノ」に踊らされている哀れな姿である。
まかり間違っても「セリーヌくらい持ってないとだめなんだ…!」なんて思わないで欲しいし、「え、デートでペリーコはだめなの…?」なんて揺れないで欲しい。おっさんの戯言だから。
あるブランドのあるシリーズが爆発的に流行ることで「IT」だったものが時を経てダサくなることはあるが、普段ファッション感度の高くない人間がイメージでまるっと語るのも乱暴ですねって感じある。
— ぱぴこ (@inucococo) 2018年4月8日
「●●な女じゃないと価値がない」って、何目線ですか?
「※個人の感想です」と付けたって不快になる話題だが、この「女のレベル」論の何に対して不愉快なのかというと、「価値ある女とはこうだよ」と見ず知らずの男に押し付けられるからだ。
そうやって何かで女性に序列をつけて並べ立てること自体「ハラスメント」であるわけですが、それを差し引いても「俺が教えてやっている」という振る舞いで押し付けてくる態度には辟易する。
今回はそもそも簡単に手を出せるわけではない価格帯のブランドを並べ立てられ、やれ「このブランドはダサい」「このブランドはいい女」などと勝手にラベルを貼られて一歩的にジャッジされており、余計に不愉快である。
下記の記事でも散々書いているのですが、おしゃれやメイクなどの嗜好品は別に男性だけに向けられているわけではなく、そのチョイスや好みに「これを選ぶのがいい女」などという言説を入れ込むのは、完全に余計なお世話である。
女が着飾るのは、異性のためだけじゃない
大前提として、別に化粧も身だしなみも「男性のためにあるわけではない」ということです。繰り返しになりますが、こうした問題が起こるたびにそこに映るのは「女の子はこうじゃなきゃね!」という男性視点からの押し付けです。「選ばれる女性はこうだよ」という圧倒的上から目線。自覚しているなら醜悪だし、無自覚なら馬鹿です。
オジサンが「女の子にはキレイにしていてほしい」と思うのは自由ですが、それを自分の周りや世間の女性に対して「そうでなければ女じゃない」「女として」と断罪する権利なんてありません。
「別に男のためにモノ買ってるわけじゃないから」を2018年春になってもまだわかってない人々がたくさんいて本当に地獄に落ちろと思う。
自分が好きなものを自分で選び、纏い、明日も働こう。
もちろん、コスメも服も靴も、自分の好きなものを買って着ていい。
それを誰かにジャッジされる必要なんてないし、気にしなくていい。
モードはある、流行もある。
そして、誰かとデートするときに「こっちのほうがいいよ」というアドバイスもある。
でも、それはあくまで「こちらのほうがよいかもね」というアドバイスだ。
「そんな安物履いてると男に相手にされなくなるよwww」
「高いものばっかりもってると男が引くよwww」
「このブランドじゃないといい女じゃないよwww」
決して、俺が教えてやるよwwwという超絶ウエメセなクソリプまみれの指摘ではない。
あーもう本当に日曜にくそだなーと思う言説を見てしまったし、言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず私は明日もペリーコの靴を履いて出勤するし、デートでも履くからね!ということである。
おやすみ。
ペリーコ魔除けマーケティング。
— ぱぴこ (@inucococo) 2018年4月9日
皆、厄除けとしてペリーコを履いていこう。
◎クソリプについて思うこといろいろ